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今、文化財のお仏壇の塗りの最終段階に入っています。

今、文化財のお仏壇の塗りの最終段階に入っています
毎日毎日、中塗りの仕上げ、上塗り、胴刷りとロイロ、
それと漆での金箔貼りをやっております。
7月中ごろにはなんとか完成に持っていきたいので、
もう必死です。
漆の湿度管理は完璧(加湿・除湿器も使います)。
2月頃からもう一度も縮んでいません。
我がむろでは、湿度63%~65%が完璧です。また、
6月は遅めの渇きの漆、2月頃は普通の渇きの漆を使っています。
また、漆の濃さもよく分かってきました。
薄く塗るとごみが目立つし厚塗ると縮みます。
その加減もわかってきました。
あとは、少しあるごみを完璧に近く無くす工夫だけです。
やっとこのレベルにまで来ました。
それが完璧になれば勝ったも同然です。
あと少しです。頑張ります。
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100年ほど前の文化財的なお仏壇と80年代の合板・プラスチックお仏壇との比較。

100年ほど前の文化財的なお仏壇と80年代の合板・プラスチックお仏壇との比較
お仏壇の木地はやっぱりヒノキ、くさまき、桐などがすごい。
今、100年ほど前の文化財的なお仏壇を修理していますが、
100年たっても、ヒノキの木地はほとんど痛んでいない。また、くさまきも少し虫が入っているが
それでも無傷に近い。また、引き出しなどは桐でできているが、
それも少しは傷んでいるが十分に使える。
ただ、昔は、継なぎ目などがお米などでついであるからかわからないが、
どの木も合わせ目の所を中心に少し虫が食っていた。
ところが、杉はのきなみやられていた。あかたの部分はそれほどでもないが
城田の部分はのきなみやられていた。相当に作り直しをしなくてはいけなかった。

1980年代~多く使われているプラや合板のお仏壇も修理していますが、
合板は、塗ってあるのはまだ使えそうである。ただ、次回は駄目であろう。
勿論苛性ソーダーを使ってのお洗濯はできない。とにかく水洗いでも、
板だけの部分はバラバラになりそうなのが多い。
プラの彫り物は、耐用年数が来ているので、パラパラと落ちたり
ぽきっと折るものが多くなってきた。瞬間接着剤で修理している。
塗りでは、文化財のお仏壇の漆は100年たっていても十分に使え、お洗濯すると
あまりにもきれいなので驚いた。
やはり塗りの面でも、人工下地や塗りが使ってある仏壇は、
40年以上過ぎたものから一挙に色が来てあせているのが多くて結構悲惨なのが多い。
でも35年経過頃までは何とかもっているみたいである。
まあ、これも当たり前の結果か。

もうこのまま突き進むしかない。

もうこのまま突き進むしかない
詩集「明日のまほろば」を出版した理由の一つに、僕の退職後の生き方の指針を指し示すことがあったわけだが、退職後一年たって、現実の厳しさにもうため息、くそーと叱咤ばかりだ。正直、どうしてこうもうまくいかないのか。楽しく仲良く希望を抱いて主体的に取り組みたいのにどうもうまくいかない。職人の道も、毎日の漆修行(確かに漆塗りは上達し、もう相当な段階に達しているとは思われるが)の道は更に遠く険しく、また、お店を中心とした生活は、どこにも出かけることがかなわず、毎日毎日が多忙で締め付けられる大変な日々であることが身に染みて分かってきた。反原発の運動も、九条の会の仕事も、「水脈」や詩の仕事も、人間関係の難しさは当然のこと、従来からある組織の中に後発組が入っていくような形になるので、信頼関係も薄く、邪魔者のような気分に陥りそうで、なかなか辛いものがある。町内の仕事も、入れば入るほど憂鬱なものが生じて来る。
このように、生き方の方向性は決まっているが、まあ予想はしてきたがどれもすべてが大変で、いざ現実の問題となって迫ってくると、体力の衰えを感じる中で押しつぶされそうになる。ほんとに娑婆は甘くない。そして時々、六十過ぎたのだからもっと気楽に、友のように好きに生きられたら、フエイスブックなどを見ていると、うらやましくなって元気がなくなる時もある。
でももう今更変えることはできない。僕は僕の道を生きていくしかできそうもない。妥協できそうもない。主体的に最期まで生きて行く、死ぬまで自分や社会に正直に求めていくしかない。叫んでいく、闘いながら死んでいくしかない。それが今まで僕が求めてきた生き方だから。楽しんで、好きなことをして人生を過ごしているだけでは僕にとっては生きている価値がない。六十歳を過ぎたこれからが最後の花なのに、人のために、社会のために、自利利他行で生きなかったら、長生きしている価値が自分にはない。未来を開拓しなくてはいけない若者や、子供や仕事に追われる年齢ではできないことを、この年になったらしなくてはいけない。そうしなければ、生きている価値、長生きしている価値が自分にはない。残っている命はどうせもうあと少しなのだから、この命、自分やみんなの本当の喜びのために使わなくては今まで詩の道を追求してきた意味がない。詩人として求めてきた価値がない。人生は、年齢相応に、体力相応にできることが必ずあるはずなのだから。もうこのまま辛かろうが苦しかろうが突き進むしかない。もう変えられない。
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